20世紀の問題点
21世紀の新年を迎えるにあたりまして、年頭所感といいますか、21世紀への所感を述べたいと思います。
20世紀は、どんな世紀であったでしょうか。AP通信が世界36カ国の報道機関71社に一位から十位までの順位をつけて投票を求めた結果の集計に基づく「20世紀10大ニュース」によりますと、広島・長崎への原爆投下は十五の報道機関が20世紀のトップ・ニュースに挙げ、12社は第二次世界大戦開戦を一位に選んでいました。以上の点を見ましても20世紀は「戦争の世紀」であったと言っても差し支えないと思います。
それでは、21世紀はどんな世紀になるでしょうか。言われ尽くした感がありますが、「環境の世紀」になると思われます。
20世紀、人間社会の発展には目を見張るものがありました。あたかも科学がもたらしたこの豊かな社会の発展が、永遠に続くかのように思われていました。しかし、今日では今の豊かな社会の限界が見え始めてきています。熱帯林の破壊、地球温暖化、砂漠化、資源の枯渇など、人類は今までに類を見ない問題に直面しています。地球には限界があるのです。特に日本人は、環境に対する意識が低いと思います。道路を走れば、路側帯や中央分離帯のグリーンベルトにごみが山積していたり、山や林に行けば、不法投棄の山といった状態です。野焼きもあちこちで行われ、自分の周りさえキレイになっていればいいかの如しです。一昨年、ヨーロッパへ視察に行ったところ、道を走っていても、ポイ捨てや不法投棄など目に付きませんでした。酸性雨等の問題が深刻であるため、環境に対する意識が高いのかもしれません。包装一つにしても、過剰な包装は倦厭され、だいたい簡易包装か未包装でした。なるべくゴミは出さない方向に進んでいるのです。われわれは戦後の貧しい状況から脱するため、経済一辺倒の政策を行ってきました。政治も経済も同じベクトルを向いていました。しかし、冷戦が終結し、経済大国になった90年代、バブルが崩壊し、日本は迷走状態に入ってしまったのはご存知の通りです。政治も何を目指すべきか定まらず、この10年間で首相が9人も替わるという異常な状態にあり、それに乗じて、社会においても耳を疑うような凶悪事件が続発しています。正に世紀末と呼ばれる状況です。これから我々は、何を目指していくべきなのでしょうか。
精神的豊かさとは
バブル崩壊後、暮らしは楽になったとはいえませんが、世界的見ても日本の生活水準はトップレベルにあり、物質的には十分に満たされた生活であるといっても差し支えないと思います。ですので、これからは物質的な豊かさだけでなく、真の豊かさ、つまり精神的な豊かさを求めていくべきだと思います。ここで言う精神的な豊かさとは何でしょうか。
作家の司馬遼太郎氏は、お亡くなりになる半年前に「21世紀へ生きる君たちへ」というすばらしい文章を残しました。そのなかの文章の一節を紹介します。
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」と前置きをし、「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分に厳しく、相手にはやさしく、という自己を。そして素直でかしこい自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。21世紀にあたっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、洪水のように人間を飲み込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向にもっていって欲しいのである。
右において、私は『自己』ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心に陥ってはならない。人間は助け合って生きているのである。私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めに画が互いに支え合って、構成されているのである。そのことでも解るように、人間は社会を作って生きている。社会とは、支え合うという仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それが次第に大きな社会になり、今は、国家と世界という社会を作り、お互いに助け合いながら生きているのである。
自然物の人間は、決して孤立して生きられるようには創られていない。このため、助け合う、ということが人間にとって、大きな道徳となっている。助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言い換えてもいい。『いたわり』『他人の痛みを感じること』『やさしさ』みな似たような言葉である。この三つの言葉、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから私たちは訓練してそれを身につけねばならないのである。その訓練は、簡単なことである。例えば、友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのに間違いない。」
あらためて言うべきことではありませんが、当たり前のことを当たり前に行動してないのが、現代の日本の状況ではないでしょうか。21世紀はは、人間社会の基本に立ち返り、お互いを思いやれる社会にしていくべきだと思います。それには、当然、教育問題を考えていかねばならないと思いますし、行政もそれに対応するようなシステムに変えていかねばならないと思います。
効率的な行政をまた、他人を思いやると同時に子孫や地球全体のことを思いやらなければなりません。そこで重要になってくるのが環境の問題です。人間が生きていくためには、ある程度の環境破壊はいたしかたないことだと思いますが、個人個人が意識していけば、多少なりとも環境破壊は食い止められると思います。行政もそれに併せて、努力していかねばなりません。
では、具体的にどうしていけば良いのでしょうか。まず徹底的な効率化をはかり、循環化社会を創設するような無駄の少ない行政を目指して行くのが一つの方法だと思います。私が現在もっとも力をいれて取り組んでいる行政のIT革命の推進もこの行政効率化政策の一つと位置付けています。
また地方分権の推進することによって、その土地の風土や立地条件を考慮した施策展開していくことが、効率的な行政運営に繋がると考えます。そのためには、自治体の基盤強化をしていかねばなりませんから、近隣市町村との合併をも視野に入れていくべきだと思います。
その他、太陽光発電や風力発電等の自然エネルギー、燃料電池等の次世代エネルギーの積極的活用も必要になりますし、自然環境の保護やビルの屋上緑化などの緑化推進施策、環境を考慮した税制度の導入等、現在できるような環境施策を積極的に採用していくべきだと思います。
また一番重要になってくるのが、環境問題への意識の啓発です。現在、千葉市においても、環境管理の国際規格であるISO14001の認証取得に向けて準備をしています。まず職員一人一人が環境に対する問題意識を持っていくことが、市全体の問題意識の啓発に繋がると思いますで、早期に実現させていきたいと思います。
課題は山積
このように環境施策というのは挙げれば枚挙に暇がないほどです。しかし、この一見簡単そうに見える環境施策も実際に実現するためには様々な問題が生じてきます。
例えば、環境問題を考えるときに「自然vs人間」、「開発vs保全」という見方をしていては、どちらかを否定してしまいかねない上に、環境問題をあまりに単純化しすぎてしまいます。これですとどちらかの要素を否定してしまいかねず、より現実的な解決にたどり着きにくくなってしまいます。
また個々の問題の解決に固執するあまり、ある問題に対する対策自体が別の問題を生むといった、いわば「いたちごっこ」の状態に陥ってしまうということです。例えば森林の保護という観点から割り箸の消費量を減らすという対策のみに固執してしまったら、失業者対策や代替品との比較が軽んじられかねません。対症療法的な対策が小出しにされ、問題の背景にある本質的な矛盾の解決が先送りにされてしまう可能性があるのです。
さらに大きな成果をあげうる技術や方法があっても、それが実行されない、もしくは実行されたとしても、広く継続的にはなされない、という現状があります。例えば環境にかかるコストをどう負担していくのかといった点です。
これらの点を解決するためには、環境問題と呼ばれる問題のそれぞれのつながりを包括的に捉え、さらに、問題を社会の中で明確に位置付けた上で、それを解決した新しい社会像、新しいヴィジョンを描かねばなりません。
環境問題は今この地球上で起きており、刻一刻と深刻化しています。少しでも早く環境問題を解消するため、また21世紀が「環境の世紀」と本当に呼ばれるように皆様のご意見等をお伺いし、一致協力して取り組んで参りたいと存じますので、皆様の忌憚ないご意見・ご要望をお待ち申し上げます。